清元「神田祭」
日本舞踊のぬりえ「清元 神田祭(かんだまつり)」の解説です。
現在も東京・神田明神で行われている「神田祭」を舞台に、鳶(とび)の頭と芸者の、江戸っ子らしい粋な踊りが楽しめます。最後は江戸鳶の仕事歌「木遣り歌」でしめくくられます。
目次
・「清元 神田祭(かんだまつり))」ぬりえの解説
・「清元 神田祭(かんだまつり)」ってどんなはなし?
・神田祭が「天下祭り」と言われる理由とは?
かんだまつりは、てんかのまつりだよ。
おどりも、まつりばやしも はでで、にぎやかなもんだろう。
じまんの「きやりうた」もきいてってくれよ。
Kanda Festival is the world’s best festival. Dance and music are flashy and lively. Why don’t you stay and listen to our proud “Kiyariuta”*?
*Kiyariuta is a work song that workers sing together to raise their spirits.
2年に一度行われる神田祭は、徳川家康も見に来たということで「天下祭り」とも呼ばれていました。この曲はその神田祭を舞台に、鳶(とび)の頭と芸者の、江戸っ子らしい粋な踊りが楽しめます。最後は江戸鳶の仕事歌「木遣り歌」でしめくくられます。
音楽について
清元って?・・・浄瑠璃という人形劇の音楽として生まれました。叙情的、技巧的、洗練された高音が特徴です。細棹~中棹の三味線を使用します。歌舞伎にもよく登場します。
清元 神田祭(かんだまつり)」ぬりえの解説
花笠を持った芸者さんと、金棒を持った鳶の頭がかっこよくポーズをきめています。
お着物などのポイント
金棒
鳶の頭が手に持っている、先端部に鉄の輪をつけた杖のことです。お祭りでは行列の先頭に立つ者が突き鳴らし、神輿の行く手を清める役割を果たします。
豆絞り
頭が首に巻いている手拭の柄です。江戸時代に流行した柄です。
「豆絞り」は、豆粒を並べたような不揃いの水玉模様で、「絞り染め」という技法を使って染めるので「豆絞り」といいます。
玉の模様は「目」に通じ、目によって魔を避ける、そして豆は一粒まけばたくさん実がなるため「子孫繁栄」、健康である「まめに暮らす」などの意味が込められています。
首抜き模様
頭の着物のように、着物の首から肩・胸にかけて、ひとつの大きな意匠を入れたものを「首抜き模様」といいます。模様から首が抜け出ているように見えます。
歌舞伎役者さんが役を演じる時、衣裳に流儀の紋を首抜きで入れることがあります。大胆で、カッコイイですね!
暴れ熨斗(あばれのし)
昔は、乾燥させたアワビを薄く削いだ「のしあわび」を縁起物として引き出物にそえる習慣がありました。いま贈答品にかける「のし」や、ご祝儀などを包む「のし袋」の起源です。
暴れ熨斗は束ねた熨斗が跳ね上がったり絡んだりしている文様で、江戸っ子に人気がありました。
神田祭の衣裳は、踊り手の流儀の紋を首抜きで入れることがあります。今回は、特定の流儀の紋ではない模様の中でも、威勢がよくお祭りらしい「暴れ熨斗」模様を採用しました。
獅子毛(ししげ)模様、または毛卍文(けまんもん)
三日月を太陽のように放射状(卍状)に並べた模様で、「獅子の巻き毛」を文様化したものです。獅子は太陽の象徴で、獅子毛紋は獅子の象徴であり太陽の力の象徴です。鳶の頭が履いている、たっつけ袴(袴の一種で、下の方が足にぴったり沿うようになっているもの)の模様です。
花笠
芸者さんが手に持っている、花で装飾された笠のことです。花笠は、全国の祭りや祭礼で使用されています。山形各地で行われている「花笠まつり」が特に有名です。
生花や造花を笠に装飾しますが、琉球舞踊では、笠そのものが花を模しているものもあります。
荒磯模様(ありそ、あらいそもよう)
芸者さんの着ている着物の柄です。
荒磯模様の特徴は「鯉」で、激しい波や磯の岩々と一緒に描かれることが多い模様です(鯛ではありません)。
「鯉の滝登り」といって、鯉は滝を登って竜になる、という伝説から出世魚とされ縁起物です。5月に「鯉のぼり」を飾るのも、同じ理由です。
鎌倉時代から江戸時代初期にかけて、主に中国から伝わった高級絹織物の総称を名物裂(めいぶつぎれ)といいます。荒磯もその中にあった一つです。
芸者さんの着物に、特に決まりはないようです。今回は、夏らしく、「荒磯」を採用してみました。
清元 神田祭(かんだまつり)ってどんなはなし?
鳶頭と芸者の手古舞(てこまい。これは踊りではなく、神輿や山車の警護をすること)の踊りです。
祭りの情景描写というよりは、夫婦の人間模様のおかしみ、江戸っ子の粋な感覚、などが曲のテーマとなっています。
二年に一度のお祭りに当たった今年の景気の良さを喜ぶところから始まります。手古舞にからませながら、女房は鳶を夫に持つことの誇らしさと、夫の外遊びの派手さ、浮気の不満などを語ります。
犬も食わない喧嘩もそのうちに仲直り。華やかな手踊りや鳶頭の投げ節などがあって、最後は木遣り歌(きやりうた)で終わります。木遣り歌は全国に存在する労働歌ですが、江戸鳶が江戸風の木遣り歌を広めていきました。
神田祭が「天下祭り」と言われる理由とは?
徳川家康が、「天下分け目」と言われた関ヶ原の戦いの、戦勝祈願に神田明神を訪れ、見事、戦に勝利しました。この戦の勝利によって、家康は「天下人」としての地位を固めました。
このことから、家康は神田祭を縁起の良い祭りとして、絶やさず執り行うように命じたと言います。その後の徳川将軍や御台所(将軍の奥さん)も祭りを見物しました。徳川将軍のことを「天下様(てんかさま、てんがさま)」とも呼んだことから、江戸時代には「天下祭り」と呼ばれていた時もあります。
清元 神田祭(かんだまつり)の歌詞
秦の始皇の阿房宮 その全盛にあらねども 粋な心も三浦屋の茶屋は上総屋両助と 機転も菊の籬さえ山谷風流あらましを 松のくらいの品定め
一歳を今日ぞ祭に当り年 警固手古舞華やかに 飾る桟敷の毛氈も 色に出にけり酒機嫌 神田ばやしも勢いよく きても見よかし花の江戸
祭に対の派手模様 牡丹 寒菊 裏菊の 由縁もちょうど花尽し
祭のなァ 派手な若い衆が 勇みに勇み 身なりを揃えて ヤレ囃せ ソレ囃せ 花山車 手古舞 警固に行列 よんやさ
男伊達じゃの ヤレコラサ 達引きじゃのと 言うちゃ私に困らせる 色の欲ならこっ ちでも
常から主の仇な気を 知っていながら女房に なって見たいの欲が出て 神や仏を頼まずに 義理もへちまの皮羽織 親分さんのお世話にて 渡りもつけて これからは世間構わず 人さんの前はばからず 引き寄せて 楽しむ内に またほかへ それから闇と口癖に
森の小烏我はまた 尾羽をからすの羽さえも なぞとあいつが得手物の ここが木遣りの家の株
ヤァやんれ引け引け よい声かけてエンヤラサ やっと抱き締め 床の中から 小夜着蒲団をなぐりかけ 何でもこっちを向かしゃんせ よういようい よんやな 良い仲同士の 恋諍いなら 痴話と口説は 何でもかんでも今夜もせ オゝ東雲の 明けの鐘ゴンと鳴るので 仲直り済んました よういようい よんやな そよが締めかけ中網 えんや えんや これは あれはさのえ オゝえんやりょう
げにも上なき獅子王の 万歳千秋限りなく 牡丹は家のものにして お江戸の恵みぞ 有り難き